MUNE ATSUSHI | arts & illustrations

オズの魔法に魅せられて・後編〜オズの魔法使(1939)~

LINEで送る
Pocket

ムネアツシです。

以前の記事では
ぼくとオズの魔法使との出会いを
長々と語らせていただいた。

今回は映画や原作小説から
なぜここまでステキに感じられるかを 紹介していきたい。

もちろん大好きトコロ全てを
まとめることなんてできないし
このブログでオズの魔法使の面白さや感動の
全てを紹介できるとも思えない。

ただぼくの拙い文章で
少しでもこの物語に興味を持ってもらえたら。

少しでもこの物語のファンが広がれば。
これまで映画のブログを書いてきた
意味があるのかと思います。

↓↓↓前回の記事はコチラ↓↓↓
【オズの魔法に魅せられて・前編~オズの魔法使(1939)~】

オズの魔法使(1939)

●総天然色の世界●
近年の映像技術の進歩は本当に目覚ましい。

スターウォーズシリーズなんか観ると
移り変わりがよくわかる。

初めてその実感が得られたのは
99年のエピソード1の公開当時で
なんとリアルな宇宙戦なのか!と
子供ながらに驚かされ
05年公開のエピソード3までは
作品ごとのCG技術はみるみると発展していった。

エピソード9においては
ありゃもはやロケである。
遠く離れた銀河系でのロケである。

エピソード4〜6は勿論のこと
ネイティブ世代ではないし
ジャバザハットが
おっきなカエルのおばけではなく
おっさんだった時代をぼくは知らない。

ただパペットやコマ撮りなど
様々な視覚効果を駆使した映像は
SFの物語としては当然のこと
映画技術の貴重な教科書のようなシリーズだ。

1930年代は映画史にとって
カラーフィルム登場の確変期である。
1939年に公開されたオズの魔法使は
当時の最新技術を使ったヒット作と言える。

勿論フィルムとデジタルの違いもあれど
オズの魔法使から得られる暖かさや鮮やかさは
いまの最新技術を以て どうして再現できるのだろうか。

オズの魔法使の物語は
カンザスの田舎町から始まる。

退屈な毎日と
埃っぽいセピア色の片田舎の風景。
こんな場所から抜け出して
どこか遠い世界へ行ってみたいと
思い馳せる少女ドロシーが歌う
「Over the rainbow 」。
こんな序盤でこんな名曲を
流してなんとも贅沢な映画だ。

また同年代の映画音楽の特徴だろうか
作中度々流れるストリングスの音色も
美しくて切なくて胸を掴まれてしまう。

この映画のアメリカでの公開は1939年のことで
モノクロの映像も古い映画だから
当然だろうと思いながら見ていたのだが

オズの国へ辿り着いた途端に
色鮮やかに彩られた
夢のようなが総天然色の世界が広がるのだった

とんでもない演出。

透き通るような空や
色とりどりに咲く草花。
街に散りばめられた輝く光の数々。

カンザスではとても見られなかったような
その光景にドロシーだけでなく
映画を観ていたぼくたちも
魔法の世界へ引き込まれることとなる。

そしてモノクロからカラーへの転換。
何度見てもここのスイッチの切り替わりには
驚かされ心震える思いでいっぱいになってしまうのだ。

●「おうちがいちばん」●
2020年4月。

例の「アレ」によって
世界中の人々は
STAY HOMEの合言葉と共に
外出自粛を余儀なくされた。

緊急事態宣言と規制の緩和とを
行ったり来たりを繰り返す日々が
続いているのだが、
いまなおその非日常から生まれた合言葉は
ぼくらの日常に平気な顔をして居座ることとなる。

HOME とは故郷であり
帰るべき家であり家族であって
この物語はドロシーが
「家に戻る」ための冒険である。

西の魔女に捕らえられ
城に幽閉されたドロシーは
魔女の水晶玉によって
カンザスのに住むエム叔母さんが駆け回り
ドロシーを探す姿を見せられる。

遠く離れた地で自分のことを
必死で探すエムおばさんの姿に
家と家族の大切さを感じさせられたのは
きっとドロシーだけではないはずだ。

時は現代。

「おうちにいようよ!」という
メディアが発する
コマーシャリズム溢れる合言葉よりも

ドロシーがカンザスへ帰るために
グリンダが教えてくれた
「おうちがいちばん」という呪文が
ぼくにとってはより一層心の支えとなり
気持ちを前を向かせてくれた。

“There is no place like home.”

ウィズ・コロナの今も
アフター・コロナの未来も

時代にも情勢にも関わらず
自らを守ってくれる家と
家族のいる安心感に
立ち帰らせてくれる魔法の言葉となった。

原作者もこんな世界になるとは
思っていなかっただろうに。

サンキュー グリンダ。
サンキュー バウム。

●ユニークなキャラクターと彼らが求めたもの。●
ファンタジー系文学作品といえば
ユニークな登場人物が楽しい。

オズの魔法使も例に漏れず
さまざまな魅力的で個性的な
キャラクターが登場する。

主人公ドロシーと旅を共にすることになる
生まれてからずっと畑に吊るされていて
脳みそが欲しいと言うかかし。

百獣の方と呼ばれながらも
誰よりも怖がりな 勇気が欲しいライオン。

そしてブリキ製の体の為森で錆びついていた
ヒトの心を求めたブリキの木こり。

ぼくは特にこの
ブリキの木こりが大好きだ。

原作小説では
彼はもともとは人間であったが
悪い魔女に魔法をかけられた斧で
体の各パーツをバラバラにされてしまい
挙げ句の果てに首までちょん切られてしまい
肉体も心も失ってしまった
ブリキ人間になのである。

児童文学でありながらも
この物語のなかでもっともひどい仕打ちを受ける
悲しいキャラクターなのだ。

彼らは願いを叶えてもらおうと
ドロシーと共に冒険へ出るのだが
実はペテン師で魔法の使えないオズは
彼らの願いを与えるのではなく
元々自分自身に備わっているのだと諭す。

たしかに作中で
かかしの出した知恵のおかげで
一行は難から逃れることができた。

ブリキは傷つく仲間に胸を痛め涙を流し

ライオンはなかなかタフな姿を見せてくれた。

人間誰しも自分のことが
一番わかっていないもので
本当は持っている自分の良さには気づかず
欠点ばかりが目についてしまい
結局無いものねだりばかりしてしまう。

本当に足りないのは欠点を穴埋めする
他のものなんかではなくて
自分に自信が持てるような
きっかけではないだろうか。

ユニークな3人が欲しがっていたものは
本当は誰よりも長けていた
それぞれの個性であって
彼らはドロシーとの旅で
自分の持ちものへの気づき得ることができた。

かくいうぼくも
日々劣等感丸出しで
背中を縮めて生きている。

偉大なるペテン師であり
偉大なる魔法使いのオズは
こんなぼくに何と
言葉をかけてくれるのだろうか。

エメラルドの都へは行けないが
自分への新しい発見をしよう。

●少ないキャストとラストシーン●
映画版での主要なキャラクターは
ドロシーを除き一人二役が多い。

はじめは予算の都合なのかと思っていた。
否。もしかすると
本当に予算上の都合だったかもしれないが
この演じ分けにきちんと意味を与えて
ラストで回収してくれた。

おかげでオズの魔法使が
ぼく史上不朽の名作となり
度重なるリメイクや
続編が作られているが
やっぱりコレが1番なのだ。

今までブログで幾度となく
ネタバレをしてきたのだが
この映画のこの最後のシーンの
是非このブログを読んだ後に
映画を観て味わって欲しい。

●さいごに●

このオズの魔法使という物語は
1900年に初版が出され
児童文学の名作として語り継がれる。

~心の大きさとはどれだけの人から
愛されるのかで決まるのだよ。~

これは作中でオズがブリキに贈った言葉の一節。

100年以上世代を超えてたくさんの人々から
愛されてきたたこの物語は
まさにこのオズの言葉のとおりとなって
物語に登場する台詞を
物語自身が裏付けてしまった。

ひとりのペテン師が放ったその言葉は
100年以上ぼくたちの記憶と胸の内に残り続け
本当の魔法であるかのように
今もまだ生き続けている。

これからの先もずっと
オズの魔法が解けることなく
200年先300年先と子供たちへ贈る
教科書として未来へと
受け継がれ続いて欲しいと願う。

この物語と出会えて本当に良かった。

【オズの魔法使を観る!!!】

●関連記事●

オズの魔法に魅せられて・前編~オズの魔法使(1939)~

ムネアツシの映画コラム

コメントは受け付けていません。

LINEで送る
Pocket

作品はこちらからご覧になれます。

WORKS WORKS arrow_right
PAGE TOP