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世界でいちばん最高のパパ〜アンブレイカブル(2000)〜

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以前シャマラン監督の
スプリットを観た時もう一度

●アンブレイカブル
●スプリット
●ミスター・ガラス
この三部作を
きちんと時系列で見直そうと思った。

これらの三部作はシャマランの
スーパーヒーロー三部作である。

ただシャマラン3部作には
マーヴェルやDCシリーズの様な
派手な視覚効果やアクションは決して無い。
その代わりキャラクターの人間性にフォーカスされ
登場人物の葛藤や苦悩を主軸に描かれている。

以前のブログでは
「ヒーローものとはアクションだ!!」と豪語していたが
このシリーズは「そういう映画」なのである。

チャーシューが売りのラーメン屋なら
スープよりも麺よりもチャーシューに
集中して食べればよい。

ビジュアル推しのスイーツなら
食べる前には写メに残して
SNSで友達にシェアしよう。

アクションよりも
ドラマに特化したヒーローであれば
ば鑑賞者のぼくらも
登場人物それぞれが背負った正義感を味わい
共感すれば感情移入もする。

ぼくが 
あなたが
この物語で胸に響いたのは
いったい誰だろうか。

破壊不可能な主人公
デヴィット・ダンか。

二作目から登場する
本作のヴィランである多重人格者
ケビン・ウェンデル・クラムか。

あるいはラスボスであり悪のブレーン
イライジャ・プライスだろうか。

誰でもいい。
誰だっていい。
そうやって意見が分かれるのも楽しいのだ。

今回ぼくは主人公ダンの息子
ジョセフを中心に
この物語を振り返りたい。

別に玄人ぶりたいが為に
敢えて主要の人物を
外しにいったわけでは無い。

ただただぼくが一番胸を打たれ
共感を覚えたのは
ダンの息子ジョセフだったからだ。
なんだったらあなたもこのブログを読んだ後
もう一度見直しておくれ。

マジで泣いちゃうから。

ーーー

アンブレイカブル(2000)

しがない警備員のダン(ブルース・ウィリス)は
転職活動の帰りの電車に乗っていたところ
大規模な横転事故に遭う。

自分以外の乗客は全員死亡し
事故の唯一の生き残りとなる。

ただし怪我どころか
かすり傷ひとつない。

そのニュースを見た
コミックの画商である
イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)は
出生の際に産道を通っただけで
全身が骨折するほど生まれつき体が弱い。
友達からは「ミスター・ガラス」などと
あだ名をつけられ揶揄われる始末。

骨折や怪我を繰り返すなかで
「生まれつき体が弱い自分とは対照的に
絶対に不滅の身体を持った人間がいるのでは」と思い始める。

列車の横転事故の報道で
生き残ったのがたった1人で
それがダンであることを知り
自分が探し求めてきた人物だと
確信したイライジャはダンに
スーパーヒーローとして生きることをオファーする。

はじめは認めなかったダンであったが
次第に不滅の身体の他に超人的な筋力や
罪人を見分ける超能力など
スーパーヒーローとしての力を自覚してゆくのである。

ーーー

この不滅のヒーロー誕生譚を
息子ジョセフの視点から要約すると

「世界でいちばん最高のパパ」なわけである。

子供からすれば父親というだけで
特別な存在でありヒーロー同然なのである。

ジョセフの場合
とある日急にもじゃもじゃ頭ののおじさんから
「君のパパはスーパーヒーローだよ。」
だなんて言われても
胡散臭いのなんのって半信半疑。

しかしパパが力試しで
160キロのウェイトリフティングを
持ち上げたらどうだろう。
幼い少年からすれば
筋力=スーパーマン であって
十分すぎるほどの説得性を持っただろう。

これを境にジョセフ自身も
「少年ジョセフ」から
「スーパーマンの息子」へと
マインドが変わり自身の正義を通すこととなる。

スーパーヒーローの父の息子として
ジョセフも自分自身の正義を持ちながら
彼は彼なりに生きようとする。
しかし父親のダン自身は違う。

今までの生命力も腕力もすべては
ただの偶然なと認めようとせず
「普通の人間だよ」とジョセフを諭すのだが

ここでダンの発する
「普通」というのはすでに期待値が
上がりきってしまっている段階なのでもはや
「俺はダメ人間なんだよ」と言うの同じである。

息子からすれば親父の口から
「自分はダメ人間だ」なんて
そんな言葉は聞きたく無い。

ヒーローであることを
認めようとしない父親へ
ヒーローであることを
疑わないジョセフは遂に強行に出る。

ジョセフは実の父親に
隠してあった防犯用の拳銃の
銃口を向けるのであった。

無敵の超人ならこんな銃何とも無いはずと。

大好きだから。

信じているから。

最高のパパを証明する為に
実の父親に銃を突きつける。

少年の痛いほどの純粋な葛藤である。

ここの両者の駆け引きはシャマランの
ユーモアが盛り込まれた場面だと捉える人もいるのだが

ぼくにはもう涙なしには観れない
名シーンとなった。

そのダンは自分の能力と使命を認めて
強盗殺人犯から2人の幼い子共を救い出す。

謎のヒーローの活躍が報じられた事件の翌朝
朝食の席でダンはジョセフに
「お前は正しかった。」
と静かに伝えジョセフは涙ながらに頷く。

このことは2人だけの
秘密であることを静かに誓い合った。

大好きなパパが戻ってきて
最高のパパが生まれた瞬間であり
親子の絆がより固く結ばれた瞬間であり
このあと三作目までの十数年を
ジョセフはしっかりダンの相棒として
自警活動を支えることとなる。

なんていい息子。

ただし「ミスター・ガラス」では
一作目での確信から打って変わり
「父は本当にヒーローなのか?」と
新たな葛藤が生まれ
ジョセフの心は揺らぐのだが
それはまたいつかのブログで書こう。

ーーー

冒頭でも述べたとおり
本作はヒーローものでありながら
主人公と悪者とのどつき合いは
終盤の強盗犯との戦いしかない。

しかし通常のヒーローアクションならば
序盤でぎゅっとまとめられるような
能力の覚醒から正義への決意までを
アンブレイカブルではひとつの作品として描いた。

スパイダーマンで言えば
ピーター少年が能力を得てから
ベンおじさんとの別れにより
ヒーローとしての力と責任を
自覚するまでのプロセスを
100分かけて上映したようなもの。

アイアンマンで言えば
調子に乗ってたトニーが
テロリストに拉致られてから
洞窟で制作したマーク01で脱出して
正義への使命感が芽生えるまでを
まるまる一本ぶんの映画にしたようなもの。

「蜘蛛男誕生」「鉄人誕生」に並ぶ
「最高のパパ爆誕」の物語である。

ダンのようなダークヒーローに
派手な演出は似合わない。
だからこそ息子との関係づくりが
より際立ち胸を打たれた。

所詮凡人のぼくらは
力と責任を背負う超人彼らの葛藤や苦悩は
共感できても想像の範疇でしかない。

ただし凡人のぼくらでも
超能力は持っていなくとも
「大好きで特別な誰か」はいるはずだ。

親兄弟の家族だろうか。

それとも友人たろうか。

自分にとって特別な誰でも
信じ抜き見守り通すことは
決して容易いことではない。
なんだったら特別な人であるが故
なにかの拍子に容易く失望することもある。

この映画で自分にとって
大好きで特別なひとを
最後まで応援し追いかけ続ける
まっすぐな純粋さを教わったような気がした。

この少年の正義こそが
ニューヨークの市民を救うことや
銀河の平和を守ることより
ずっと身近で
ずっと必要とされる
正義なのではないだろうか。


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